悪口のリスク 悪口を言い続ける人は、オオカミ少年のような運命をたどる可能性がある

悪口を言うとストレス解消になる。

悪口を言うと優越感を感じられる。

 

そういう理由で悪口を言うことがクセになっている人がいる。確かに悪口でストレス解消したり、優越感に浸ったりするのは楽でいい。手軽だし、危険も少ないし、金もかからない。

 

僕自身も若い頃は、その楽なわりには効率良くストレスを解消してくれたり、優越感を感じさせてくれたりする悪口という方法をよく使った。仲間と共通の人間の悪口を言うのは楽しかった。今でもときどきその楽しさのために仲間と悪口を言い合うことはある。でも、その回数は若い頃と比べ確実に減った。

 

悪口を言い合う回数が減った理由は、年齢を重ねて、不満の解消が上手くなった、金銭的余裕が出来た、承認欲求が低下した、自分なりの楽しみが見つかったなどがその理由になっていると思う。

 

でも、理由はそれだけじゃない。
僕はあるとき気づいたのだ。
悪口を言い続けるリスクに。

 

たとえば、毎日のように悪口を言っている人がいるとする。そんな人を見て周りの人たちの中には、「アイツはいつも悪口ばかり言っている」「私の悪口も言っているのではないか?」と疑う人たちもいるだろう。そう疑う人たちの中には「私の悪口も言っているに違いない」と被害妄想を抱く人もいるだろう。

 

悪口を言っている人は周りの人にそんな疑いや被害妄想を抱かれるリスクがある。たとえその人たちの悪口を言っていなくても疑いや被害妄想を抱いた人たちはそうは思ってくれない。

 

オオカミ少年と同じだ。

オオカミ少年は毎日のように村人たちに嘘をついていた。それが原因で村人たちは少年の言葉に疑いを持つようになった。少年の言葉はすべて嘘だという妄想さえ持つようになった。

 

あるとき少年は本当のことを言った
だが誰一人少年の言葉を信じなかった。

 

少年は真実を言っのだ。
でも、だれも少年の言うことを信じなかったのだ。


村人たちの中には少年に対する疑いや被害妄想があったからだ。そういうものが心の中にあったから少年の言葉を信じられなかったのだ。

 

 

悪口を言う人も毎日のように悪口を言っていれば、オオカミ少年のように周りの人たちに疑われたり、被害妄想を抱かれたりするようになる。そうなれば自分は悪口を言ってないと言っても誰も信じてくれなくなる。

 

悪口にはそういうリスクがある。

それに僕は気づいた。

だから悪口を言う回数が減らした。

 

でも、そういうリスクがあるとわかりながらも悪口を言わないで生きることができない自分がいる。どうしても悪口を言ってしまう自分がいる。

 

僕自身ある程度、悪口を言うのは仕方ないことだと思っている。だから悪口をゼロにしようとは思っていない。できるかぎり減らす努力はするが、ゼロにしようとは思わない。そんなこと僕には不可能だと思っているからだ。

 

僕は悪口をひとつも言わずに生きられるようなモラルはないし、善良さもない。悪口を利用して、「ストレス解消したり、優越感を感じたり、仲間と悪口を言い合いたい」という欲望を完全に抑える自信も根性もない。ないものがたくさんある不完全な人間だ。

 

だからある程度は悪口を言う。でも、過剰なまでに悪口は言わない。オオカミ少年のようにはなりたくないから・・・

 

「アイツは悪口を言うのが大好きだ」「アイツに近づくな」「アイツに近づくと悪口を言われる」「アイツは私の悪口を言っている」「ぜったいに悪口を言っている」そういう疑いや被害妄想を周りの人たちに抱かれながら生きていくことは僕には耐えられない。

 

だから僕はこれからも悪口を言う回数を減らしていく。少しずつ、確実に・・・